首輪を求める心理
社交網上で興味深い反応を見た。反対派は感情論ばかりで具体的な数字が欠けている。議論に値しないと。此の発言は政府や企業が主導する個人情報管理に追い風になる危険がある。 命題「具体的な数字が無いと無効な情報である」の対偶を取る。「有効な情報は具体的な数字がある」である。反例が即座に浮かぶ。現政権の支持率だ。少なくとも鯫生の周囲で硝子の天井を血塗れになりながら破ったのにすぐ先の鉄の天井が見えていなくてしたたかにぶつかった総理に肯定的な者はいない。0%である。単純接触効果と篩分けによる欺瞞だろう。少なくとも0%と70%余りの信頼度は同じである。 具体的な数字即ち統計や実験に依頼しきるのは問題だ。情報を収集するには手間や金がかかるからだ。巨大な組織や資本に判断を白紙委任する羽目になる。心理学の統計が滅茶苦茶なのは有名なのだが。(心理学は科学に非ずと指摘されたら黙るしかないが。) マイナンバーに懐疑的な市民は公開する情報を制限するだろうし、抑個人番号札を持たないかもしれない。同様に携帯、パソコン、特定のサイトやサービスにも言える。報道が垂れ流す自称調査も結局はフィルターバブルから逃れ得ない。そこで政府の下に一致団結しようと戦前の飯事の繰返しで芸がない。 感情論と抽象論との混同は頻発するし、意図的に攪乱する為の論陣を張る何処かの回し者も多いので無垢な民衆を責める事はしない。尤もこの調子の論考に痺れを切らした結果が、自分に肯定的立場を装う広告に身売りする原因なのだろうから如何ともし難いのだが。 _/_/_/_/_/ 本論では敢えて避けたが偽りの賢さに固執して自己イメージを強める為に相手は稚拙だとレッテルを貼りたいだけの場合もある。無意識的な時もあり責任を問えない。又、疲れるので筆を擱く。 鯫生は実際に会ったことも話をしたことも無い人を信用しない。抑が人でない場合も多い。 縦しんば数字を出したところで出典を確かめねばならない。最後は調べ物から逃げられないのだから自分で探しに行けば宜しい。大学教育の敗北である。