国葬について
国葬を執り行うには建前が必須だ。血税を投入するからだ。 特に政治家の場合、経済指標を一切考慮せずに荘厳してその場を取り仕切った自分たちの権威を知らしめるという機能があるように窺管した。 昔、中国戦国時代の魏の宰相恵施が前王恵王の国葬について諫めた話がある。そこでは豪雪は故人の意思であるからこれを尊重して葬儀の日程等を勘案しなくてはならないと云っている。 今、政治家の発言は記録されている。生前にさんざっぱら国民の生活が第一だとか、経済が大切とか仰っていたのは周知の事実。党友諸氏はその高邁な御意思に反してはならない。 或いはもし強行したいのならば伝統的宗教観を持ち出して牽強付会する方法がある。 例えば或る首相経験者は国民によく知られ敬われていたにも関わらず凶弾に仆れその御霊は荒ぶっておられる。だから、盛大な葬儀を開催して鎮めなければならないとでもすればよい。靖国参拝の実情と牴牾するところがないので諸外国も理解を示すかもしれない。 蓋棺事定(←何故か変換できた!)とあるように、人の評価は恣意的に操作できるものではない。少なくとも上級には無差別の愛情を持っていた人があれば、生誕百周年や死後五十年に自ずから哀悼や敬愛の念が高まり祭典を企画する私人が後を絶たないだろう。国葬はその後でも遅くはないと思われる。 建前の御高説の後、載舟覆舟を御覧になるのが筋たるものと愚考致します。