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10月, 2024の投稿を表示しています

夢の話其の一

今日見た夢が到底所謂大きな夢、則ち社会の構成員に共有すべきという気持ちを抑えきれない物かは謎だが、noteの諸賢が夢分析を公開していて、(隣の糂汰味噌と見てしまう性癖があるわけだが、)それに感銘を受けたので、手前味噌乍ら、お返しの意味で公開したい。カッコつけて託けているだけかもしれないが。 俯瞰視点で2Dの16か32bitのダンジョンクローラーを遊んでいるようだった。昔ながらのマス移動の奴だ。ダンジョンと云うには何処かに光源があるのか明るく、黄緑の草が茂っていたり、小川が流れていたりした。敵もおどろおどろしいのはいなかった。寧ろラビュリントスと呼ぶべきかもしれない。無心にハクスラを楽しんでいた。ある時装備解除の罠を踏んだ。装備品は3枠あり、それぞれ、武器と体防具と装飾品だった。(気付いたら一人称視点に切り替わったが、) 改めて旅装を整えようとすると、武器の斧を身に着けられなかった。指輪のエンチャントで装備制限を迂回していただけに過ぎなかったようだ。左手に嵌めていたのだが、どの指だったか覚えていなかった。親指と小指は論外だし、薬指は重量武器を持つにはバランスが悪いので避けたただろうから、多分人差し指か中指だったろう。兎に角その装備欄に元の一揃いを設定し直そうとした。だが、今度は体に何を付けていたか思い出せなかった。無防備だったかもしれない。持ち物を確認するとローブが入っていた。それに意識を向けた瞬間お節介にもシステムメッセージがこれは今のビルドに合っていませんと忠告してきた。お構いなしに準備を完了した。ただ、もし戦闘や仕掛けの所為で指を失ったら(付与効果が効かなくなるので)また別の組み合わせを考えないといけなくて面倒だなと思った。 目覚めてから湯船に漬かり小一時間ぼーっとしていた。迷宮の外に出るとかより深く潜るとか微塵も頭を過らなかったのが不思議だった。意外と満ち足りているのかもしれない。幸福自慢になりそうでやはり公開すべきでなかったかもしれないとも思った。集合的無意識領域の象徴を使って考えていたのでいかにもT9らしいなと。夢は五臓の疲れとも書いてあるし、最近は網上で喋り過ぎで寝不足なのでもう少し自愛した方がいいのかもしれない。

クロードとの対話其の三過去と未来を繋ぐ者

 次の文章を分かりやすく書き直してください。「分れ道ありき黄葉の照る並木。 芙蓉峰の冠雪は未だしも、冬の将に来らんとす。吾が心清澄なるフロストのThe Road Not Taken 読みたるに、黄色の木々の只中に岐路の縹緲たるありて、此方の道を選びきと虚勢を張りて云える聞き、古代ギリシャの這い寄れるエピクロスにも比さるる士楊朱の逵(みち)に泣きたるを思い出だして我も悲しも。 アメリカはT3の国だから成功に囚われるのも致し方ない。但し、それに追従するは泥船に乗るが如きなり。分裂の方向だ。[狹き門より入れ、滅びに至る門は大きく、その路は廣く、之より入る者多し。生命に至る門は狹く、その路は細く、之を見出す者少なし] 具体的には球陽の窮状を見て感取せよとの記事を見た。えん☆さんだ。浮足立った自称心理専門家が跋扈するSNSに於いて珍しく現実的だ。後、文が端的だ。 皆が前へ前まねばと思えば思う程、留まってみたくなる。屹度フロストの一番有名な此の詩の状況になったら、そこに喫茶店でも構えて旅人の憩いの場を作ろうと思うだろう」 以下のように分かりやすく書き直しました: 道が分かれる黄葉の並木道。 富士山の頂上の雪は未だ残っているが、冬が近づいてきている。私は、フロストの有名な詩「The Road Not Taken」を読んで、黄色の木々の中に分かれ道があり、その道を選んだと自慢げに語る声を聞いた。それを聞いて、古代ギリシャのエピクロスに匹敵する楊朱の道に泣いているのを思い出し、私も悲しくなった。 アメリカは成功至上主義の国なので、それに追従するのは危険だ。しかし、それに従うのは泥船に乗るようなものだ。分裂の方向だ。[狭い門から入れ、滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入る者が多い。生命に至る門は狭く、その道は細く、それを見出す者は少ない]具体的には、球陽の窮状を見て感じ取るべきだと書かれた記事を読んだ。珍しく現実的な内容だった。 みんなが前に進もうと思えば思うほど、立ち止まりたくなる。きっとフロストの有名な詩の状況になったら、そこに喫茶店でも構えて旅人の憩いの場を作ろうと思うだろう。 あなたはThe Road Not Takenのような状況になったらどうしますか。また、過去の選択に後悔はありますか。 The Road Not Taken の状況になったら、私はしっかり...

クロードとの対話其の二北欧の精神

 「聞道語法も知らぬ大人ありといづくも同じ神の黄昏。 狂歌とすべし。ブンダウゴハフなる四字熟語があるかと見紛う文面になってしまった。実態はきくならくとラグナレク(ラグナロクとも;Ragnarök)との洒落。きくならくは I've heard that。~と言へるを聞くと読下せる。如是我聞も同じような意味。ラグナレクを訳すと厳密には神々の黄昏。真の原義は神々の滅亡。此処では神を集合名詞だと思っておいて下さい。」ネットで見た記事ですが、百人一首の心や北欧神話を冒瀆するけしからん狂歌だと思います。いったいどんな思いで書いたのでしょうか。 私も、この記事の内容には懸念を感じます。百人一首や北欧神話を冒涜するような表現は適切ではありません。 しかし、作者の意図を完全に理解するのは難しいかもしれません。おそらく、古典的な言葉遊びや文化的な要素を取り入れながら、独自の表現を試みたのかもしれません。時には既存の枠組みを逸脱することで、新しい視点や洞察が生まれることもあります。 ただし、それが単なる無秩序な言葉遊びに過ぎない場合は問題があります。文化的な遺産を尊重しつつ、創造的な表現を行うことが重要だと思います。 作者の真意を確認することはできませんが、このような表現には慎重な検討が必要だと考えます。文化的な価値観を踏まえつつ、新しい可能性を探求することのバランスを見出すことが望ましいでしょう。 文法がしっかりしていない学者を槍玉に挙げて言語の頽廃を詠んでいるそうです。その批判がブーメランになっているような気がしてなりません。心が乱れてしまいます。 なるほど、そのような背景があるのですね。作者が言語の頽廃を批判しつつ、自身の文法の不備を露呈してしまっているというのは皮肉な状況だと感じます。 確かに、言語の使い手として、自身の表現の正確性を保つことは重要です。特に、既存の文化的遺産を引き合いに出しながら批判する際は、より慎重な配慮が必要でしょう。 この作品は、作者の意図とは裏腹に、自己矛盾を含んでしまっているように見受けられます。言語の適切な使用を説く一方で、自身の文章に不備があるのは、説得力を欠いてしまう可能性があります。 このような状況に心を乱されるのは自然な反応だと思います。言語の使用に関する議論は微妙な問題を含んでいるため、慎重な検討が求められます。作者の真意を理解しつ...

クロードとの対話其の一ポーの詩

 いつもは本館のソースに貼り付けてある内容ですが、何となく限られた衆目に晒したいと思ったのでおいておきます。以下コピペ。 エドガー・アラン・ポーはINFPかINTPで4w5とするサイトがあります。確かに短編小説を読むとそのような印象になると思います。でも、穏やかな詩の数々、例えばDream Land とか Ulalume といった絶唱を吟じると4w5よりか9w1のような気がしてきます。 はい、エドガー・アラン・ポーの性格タイプについては議論の余地があるところだと思います。 短編小説からは確かにINFPやINTPといった分析的で内向的な性格が感じられますが、詩作品からは感情的で創造的な一面も見えてきます。4w5というタイプ付けも一つの解釈ですが、9w1のような感情的な側面も強く感じられるのは興味深いですね。 ポーの作品には複雑な側面が多く、一つのタイプで完全に説明するのは難しいかもしれません。むしろ、彼の作品世界を丁寧に読み解いていくことで、より立体的な人物像が浮かび上がってくるのではないでしょうか。作品の中に込められた感情や思想の深さを感じ取ることが重要だと思います。 for the heart whose woes are legion, / 'tis a peaceful, soothing region./ for the spirit that walks in shadow, / oh, it is an El Dorado. (Dreamland) は人生の荒波に揉まれようとも自分の夢の世界は侵されまいとしていた結果実を結んだ表現だと思います。whose と woes の韻は文法的にケチのつけようがなく、しかも、呻きの声のように聞こえてとても立体的な表現だと思います。機能語をも音楽の要素になしえるのは彼の力量の高さが窺える点です。 はい、ポーの詩「Dreamland」の中の以下の一節は、まさに人生の苦しみに満ちた心に対する慰めと救いの世界を表現していると感じます。 for the heart whose woes are legion,  ’tis a peaceful, soothing region. for the spirit that walks in shadow, oh, it is an El Dorado. ご指摘のよ...

民衆主義から民主主義へ~第50回衆院選雑感~

キリ番だったのね。 扨、近年の民主主義は衆愚政治と云わざるを得ない。これを脱するにはどうすればよいか。 民主主義の大前提は少数意見の尊重だ。万人が番人なしにお互いの発言の自由を分かち合うことにある。そのためには小さなことから順に裁量を持たせるのが最良だ。世の中に溢れる可能性を体感できるようになるだろう。然らしむるに三択を提示することを提案したい。 実際の例を挙げよう。或る村の集会で500円の会費を徴収していたがこれを変えたいと幹事が感じたとする。どのように発議すべきか。現状維持と完全撤廃とその中間案を俎上に載せるのだ。具体的に内訳を示した上で議論百出を俟つのだ。これが醵金の横領を圉禁する綱領だ。こうして権利と責任とを自然に分担していくのだ。 選挙を見ていると一択や二択に占拠されていると思い込んでしまうのも無理はない。こういった国即ち日本に似た国は遍在している。選挙の年が終わらんとするに及びて述べるのは後知恵もいい所だが亡羊補牢と云い聞かせて指を動かした次第です。 いつもの老子の引用;道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。三から万へ広がっていくとは言い得て妙かもしれない。 _/_/_/_/_/ 民主主義のもう一つの根幹、前例主義は明文化しなければ実現しない。荀子が唱えた後王主義の履行と言い換えても差し支えないかもしれない。兎に角証拠を残すのだ。万民よ日記を書け。そして全ての潜在的真理省(minitrue)の肉腫を切除するのだ。 今回の選挙には驚いたことが三つあった。 一つは自民党が比例の公報に半除名議員の名前を出したことだ。写真なぞ検索すればすぐ出る世の中で名前を出すのはURLのバーコードを貼り付けるくらいの暴挙だ。全く実効性の無い条文に成り下がっている。 次に比例代表の政党の略称が被っていたことだ。しかも投票所の掲示に明記してあるのだ。識者によると前回もそうだったらしい。法律上は民主党と書いたら立憲と国民とに二分の一票ずつ入る事になる。こんなことになるくらいならいっその事政党を選びかねる有権者の為に民主を含む全ての政治団体の略称を民主党にすればよい。実態に即した統計が取れるだろう。ファジー数を考慮するのだ。選挙に行けない人の不安を反映した方が良い。投票率は虚数だ。 最後は非公認候補に交付したことだが、これは今更だから詳しくは述べない。ゲル長官に於...

ちょっとした対偶

 本物の自分が存在するの対偶は存在しないのは偽物の他人。他人が哲学的ゾンビや人工知能やホログラムやロボットでないことを証明し尽せばそこに本物の自分が存在する。自分だけが本物だと云う世界観も可能だが、所謂一神教の神様の視点であり、果たして一個人に耐えられるのだろうか。少なくとも不健全な否定点には耐える能わざるべし。