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10月, 2025の投稿を表示しています

アイディアの走書き

 或る文化評論に対する震恚をお示しになった某広告業者様は、結局御仁体が蛇蝎視される地元政治家風情の下位互換でしかない。だが、非常に角が立つ事実の指摘なのでどのように文章にしようか悩んでいる。T2,T3,T6に対して辛辣になるのは何時もの事だが、言葉で稼がれている以上は誠意を尽くさなければ、池魚の殃を被るので応答せざるを得ない。鯫生も同類と見られては敵わないのだ。はてさて。社会学に造詣の深い方がいらっしゃるので、菲才は心理学的問題として提示致そうか。爬羅剔抉だが自衛しなければ。それこそ沈黙してきた咎の清算が必要だ。初めての確定申告の気分だろう。 _/_/_/_/_/ 尚、遅筆の模様。二月の某媒体を待て。(宣伝) [追記1026:散文が進まなくて展示の作業に逃げていたら過去のパリ暮らしの句が目に入った。序でに言葉遊びを始めたらするすると九つが出来上がってしまった。図らずも川柳連作を投稿する事になった。一段落したので兎に角散文を書かなければ。] 悪意を漂白した上での過剰反応である。典型的な受動攻撃よ。 _/_/_/_/_/ 高々百文字中に凄いを三度使ってしまう語彙と思考と感性の貧弱さ。一言「最近不快な事がある」で済むのに、決まり文句で全角83文字を無駄にしてしまう言語創造欲の欠如。立腹。同時に納得。デマゴーグにこれほど最適な人材も無い。先生御贔屓の所以である。 再び申すが、売文を生業にしていなければ此処迄声を荒らげないのだ。資本を獲得する以上は高貴の義務が纏わる。自文化を守る職人の邑の防衛本能である。

僧侶擬きと喧嘩した夢

 或る時訪れた知らない地域の寺院で僧侶が私見を開陳した。この[自称自己啓発]本の著者のスポーツ教育法に感銘を受けました。学校教育は見習って導入すべき方法ですと宣った。鯫生は吐き気を抑えきれずに即座に反駁した。気持ち悪いので勘弁して下さいと。当然僧侶は気を悪くして怫然として下がっていった。後に面を整えた渠を見たので話を続けてみた。すると、こちらが今朝薬を服用したかいきなり尋ねて来た。毎日指定量を服用していますと正直にお答え申上げると、知合いにあなたのような方を扱う人が居るので、気になって聞いてみたと仰られた。その上で先程の回答としてお腹をゆっくりさすって大丈夫だよと言うような温かみが現代の公教育には足りていないので進言した次第だと御高説を賜った。今度は反吐を途中で抑込みそこに至る迄の具体的な信用を勝取る方法論が欠けていませんか。それに今、小中で実行すると警察沙汰になるのはお知りにならないのですかとお尋ねすると返答に窮されたようだった。話題を転換して読書だって[自称]自己啓発本から始めるべきだと思いますといらっしゃるので、矢張眩暈を耐えてから私は[自称]自己啓発本は読書ではありません。あれは周囲の人々を観察して自ら得るべき知見の内の極度に主観的なものです。真面な人には不要どころか毒に成り兼ねませんとお返しした。此の僧侶の読む本の内訳が知れ渡ったので矢継ぎ早にそれよりも仏典には為になる本がたくさんありますねと窺った。普段読誦している癖に内容を理解していないと見え、法華経、歎異抄、般若心経、碧巌録或いは法語禅語の幾つかを探ってみたが無反応だった。だから、今昔物語に信仰心はあっても学の無い僧侶が妖に騙される話が出てきます。渠は聡い俗世の友を持っていたことで迷妄を破ることが出来ました。又、日々山にこもって修行に励むだけで教えを示すことが無かったので自身の暗愚を広める事がありませんでしたと締めた。 鯫生が僧侶を嫌うのは散人よりも仏典を読解できず、引籠りよりも世事に疎い癖に読経と説教で口過ぎをする度胸の良さを隠さないからである。端的にはその無知蒙昧厚顔無恥が癪に障るのだ。序でに此の僧侶の場合は此方が精神障碍者だから道理に明るくないのだと認知的不協和を正そうとしていたことに無自覚だった点が困る。自身のした差別にすら気が付かない業の深さに嘆息するばかりであった。もしかしたら今も...

AIチェッカーについて

 全く信用できない。自分の詩文は自分で書いているのだが必ずAIの可能性が75%と出る。(先頭の頁では必ず件数が3,0,1,2とAI度が高い順の評価だった。清清しいコピペ乙。) 幾つものサイトを渡歩いたが同様であった。 では、あるAIに判定を頼むとどうなるか。聞き方に忖度した文を生成してしまう。絶句が機械書記と判定された時には絶句してしまった。平仄どころか韻の判定も出来ず、五言絶句をお願いすると三言詩を吐くのだ。真剣に受取れない。 最早AIが書いたかどうかは本人と限られた人にしか不明なのかもしれない。少なくとも課題の採点に生のままで使うことは無理だ。試していないが慶応大学の『学問のすゝめ』すゝめみたいな小細工も何時迄通じるのか見通しが立たない。結局文を読む能力は人間に委ねられているのだろう。もう手書きを提出させよう。