民衆主義から民主主義へ~第50回衆院選雑感~

キリ番だったのね。

扨、近年の民主主義は衆愚政治と云わざるを得ない。これを脱するにはどうすればよいか。

民主主義の大前提は少数意見の尊重だ。万人が番人なしにお互いの発言の自由を分かち合うことにある。そのためには小さなことから順に裁量を持たせるのが最良だ。世の中に溢れる可能性を体感できるようになるだろう。然らしむるに三択を提示することを提案したい。

実際の例を挙げよう。或る村の集会で500円の会費を徴収していたがこれを変えたいと幹事が感じたとする。どのように発議すべきか。現状維持と完全撤廃とその中間案を俎上に載せるのだ。具体的に内訳を示した上で議論百出を俟つのだ。これが醵金の横領を圉禁する綱領だ。こうして権利と責任とを自然に分担していくのだ。

選挙を見ていると一択や二択に占拠されていると思い込んでしまうのも無理はない。こういった国即ち日本に似た国は遍在している。選挙の年が終わらんとするに及びて述べるのは後知恵もいい所だが亡羊補牢と云い聞かせて指を動かした次第です。

いつもの老子の引用;道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。三から万へ広がっていくとは言い得て妙かもしれない。

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民主主義のもう一つの根幹、前例主義は明文化しなければ実現しない。荀子が唱えた後王主義の履行と言い換えても差し支えないかもしれない。兎に角証拠を残すのだ。万民よ日記を書け。そして全ての潜在的真理省(minitrue)の肉腫を切除するのだ。

今回の選挙には驚いたことが三つあった。

一つは自民党が比例の公報に半除名議員の名前を出したことだ。写真なぞ検索すればすぐ出る世の中で名前を出すのはURLのバーコードを貼り付けるくらいの暴挙だ。全く実効性の無い条文に成り下がっている。

次に比例代表の政党の略称が被っていたことだ。しかも投票所の掲示に明記してあるのだ。識者によると前回もそうだったらしい。法律上は民主党と書いたら立憲と国民とに二分の一票ずつ入る事になる。こんなことになるくらいならいっその事政党を選びかねる有権者の為に民主を含む全ての政治団体の略称を民主党にすればよい。実態に即した統計が取れるだろう。ファジー数を考慮するのだ。選挙に行けない人の不安を反映した方が良い。投票率は虚数だ。

最後は非公認候補に交付したことだが、これは今更だから詳しくは述べない。ゲル長官に於きましては結果はどうであれ侃侃諤諤丁丁発止を期待したい。それが政治家としての使命だろう。寧ろ輸けた方が党内勢力を整理できてましになるかもしれない。問軽重の声が上がる前に気高い血筋の令嬢は出埃及(exodus)すべきだす。偏夫(hemp)も序でに持ち出されたし。どっちの砂漠化が深刻か火を見るよりも明らかだが。国民の抃舞する所となるであろう。本当の保守や右翼はどこにいるのだろうか。

どうやら小選挙区の推しは議席を確保したようだ。参議院や学術会議が似合いそうな渠だが鋭い諦観を投げかけ続けて欲しい。新刊もお待ちしています。

余談だが今のところ裁判官は全てバツを付ける事にしている。多様な判例を残すべきだからだ。三年で裁ける事件は百はあるだろう。面折廷諍できる司法もあれかし。

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