惣合文藝家として

 総ての分断を乗り越えて平等に自分の身の回りを詩文で書き続ける。その道筋は既に先人が示された。尊敬する歴史上の人物を上げると、諸子百家では荘墨、漢詩では靖節長吉、西洋ではウィットマンボードレール、日本の古典詩壇では万葉芭蕉良寛、散文は今昔雨月、近代文筆家では漱石芥川子規、詩人は泣菫有明、そして誰よりも惣合文藝家の祖としてのポーである。渠等の個人史を研究し、此処では挙げなかった現代の辱交の墨客達を見習い彫琢する。そして、幼き頃からの大好きな電子遊戯や夢現を問わない獣類にも和していく所存である。詩題が詩趣を決めるのではなく、表現が詩趣を決めるのだから、平安人の一生の情報量を持つらしい日々を生活し乍ら森羅万象を詠み続けるしかない。情と速さに流れがちな同時代の詞林とも不即不離で客観的に心身を以て関わりたい。

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