死灰の詩會
芸術は馴合いではない。正岡子規の月並み俳句に対する批評が有名だが、普遍的な問題なのである。鯫生は二度赴き二度経験した。茶話会に出す金と時間は無い。況してや権威と雑務の押付けは悪夢だ。老人会に若者が入る余地は無いのだ。それこそ教授代、交通手当、事務手数料と介護費を請求したい位である。平等が理想だ。
当然見学をお願いする立場では礼節を尽くし懐を痛めねばなるまい。庶務の負担があるのだから。其処は弁えている。横滑り論法で鯫生の社交性が欠けていると騒ぎたい方は御勝手に。
詩集は自費出版よりも廉価な同人誌で事足りる。抑、名だたる詩集の初版は大抵私家版だった気がする。又、日常を詠んだ詩歌は例示する迄も無い。態々大枚を叩いて吟行するのは銀行の思う壺。無駄遣いは創作者ではなく消費者の行動だ。
幾ら具体があった所でそれを表現し得ないならば他人を感動させられないだろう。精進されたし。
20260129 by nakamjratakeshi (現代芸術家)
仲良しこよしをやっているアートグループは、将来性がない。
なぜなら、
そこにあるのは「表現」ではなく「関係性の維持」だから。
衝突を避け、
違和感を飲み込み、
空気を壊さないことが最優先になると、
作品は“みんなが納得する最大公約数”に縮んでいく。
でも、
アートの歴史はずっと逆をやってきた。
>>
20260130 by qwerty777wanko (通りすがり)
これ(駄サイクル)
[漫画の切抜き。以下台詞の抜出し。
「輪の中で需要と供給が成立しちゃってるんだよ。自称ア~チストが何人か集まってそいつら同士で"作る→ホメられる→見る→ホメる→(以下循環)"--- を繰り返しているんだ。
「それはそれで自己顕示欲を満たすための完成された空間なんだよ」
「はぁ~~なるほど---」]
件の横滑り論法が以下。
そもそもアーティストというのは帰属意識のない性質の持ち主たちですから、仲良しこよしになる必要もないし、対立する必要もない。
他者や他のグループと自らのそれとを比べようとするから、仲良しこよしに嫌悪をいだくのでは?
アーティストといえど交際術は必要です。対立するより仲良くやるほうがベターだと思いますが。
流石に面と向かっては直言しないが、批評は交渉術の一つである。対立と捉えるのは読解力が足りない。時間を置いて読返すと別の発見があるかもしれない。
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