本物の天才は分かりやすく説明できる

 理解し得た時だけ天才かどうか判断可能とすべき。又は、説明能力は秀才の商品だとも申したくなる。

理解しやすい文章を書くのは只ではない。池上氏の『わかりやすさの罠』を読み給え。所詮は金か売名か広告かプロパガンダでしかないのだ。

また、駑才の個人としては、自分の言葉を翻訳している間に次から次へと考えが浮かんできて添削が止むことは無い。先に書いた事と相容れない断片が割込んできて纏まることは無い。大器免成。

抑、名文は雑糅を味わうもので、良文は抵抗の無さが評価基準だ。前者は文豪により、後者はライターや記者による。人工知能に敗北するのはどちらだろうか。

勿論アインシュタインの希代の知性を否定するわけではないが、あれは一億人に一人の水準にある事をどうか忘れないで戴きたい。大抵の埋没した偽物の天才は評論や研究を待っているものなのだ。

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後、難文が読めた所で金にならないと仰る方も侍るだろうからお書きする。文才で売込めるのは一握りだが、娯楽に掛かる支出を抑える事は全員が可能だ。著作権料等の既得権で雁字搦めの現代文よりも古典は安い。網上から拾えば雀の涙程の電気代と通信料で賞玩できる。旅行、自動車、二輪車、追っかけ、ソシャやVの家禽、骨董集め等と比べられよ。寿命迄一瞬だ。特に未来のアンティークを手ずから創作するのは挑戦し甲斐があるに違いない。

とは言え目下中国古典の解説と翻訳を企てている。手始めは阮籍の詠懐詩八十二首。高校生の教材として成るべく明解に物したいと存じます。こんな破落戸でも将来の夢は一丁前に教師だったのよ。動作IQが絶望的だったが。

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