似非邏輯學家考
まあ、大した事は書きません。最近散見する肩書を欲する人に対して何を述べた所で逆効果ですから。当の本人が「私はOO型だけれども人の本性を暴くのはどうかと思う(柔らかい翻訳)」と自らを自己発見から遠ざけているのですから。但し、こう銘打って理論も実例も書かないのは不親切なので興味深い例を挙げておきます。
昨年の十月下旬頃から蔦屋が性格類型毎にお薦めを紹介していた。その中で、何故か冒険家が邏輯學家に対して選書なさっていた。確かに、その中の一冊は正鵠を射ていた。併し、同時に禁忌肢も見えた。余りにも当たり前過ぎて今更云われるまでもない事を長々と語っていた。萎えた。(最後の一つについては述べない。個人の感性に任せるべきだから。)
前掲の段落が何を申しているか理解できない、或いは調べられない方は邏輯學家ではないので安心して下さい。こんな呼称なぞ呪い以外の何でもないのだから。例えばメンサなんて社不の溜り場だ。いい年して性格や知能指数、国籍、人種等生まれ育ちしか誇れないのは恥である。何が出来るか、何を為したかが重要だ。
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此処迄の文を読んで尚心が折れないのならば、grip と1-3 loop について調べられたし。本当の自分らしきものの輪郭が現れるかもしれない。
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